大東流について

武道について

武道とは、昔から伝わる、身を守るためのものです、決して人と争ったり、こちらから攻撃をするものではありません。争いを制するために用いるものです、皆さんが稽古をする大東流合気柔術は古武道になります。

大東流について

大東流は、千百年頃、源 義光(みなもとよしみつ)という武士が源氏の家に伝わっていた秘伝に工夫を加えて、大東流合気柔術の基礎を作ったと伝えられています。戦国時代は甲斐(現在の山梨県)の武田家に伝わり、江戸時代になると、会津藩(現在の福島県)の武田家に伝承されてお留め技(門外不出)として世に知られることはありませんでした。広く知られるようになったのは、明治三十一年(1898)五月より昭和十八年(1943)四月にかけて、武田惣角(たけだそうかく)先生が全国を歩いて多くの人に伝えたからです。その数三万人に及ぶといわれています。武田惣角先生、弟子の植芝盛平先生(大東流を主体とした合気道を創設、普及)の活躍ぶりは、作家津本陽氏の小説「黄金の天馬」「鬼の冠」に描かれています。四国の大東流合気柔術の礎を築いたのは中津平三郎という人です。中津先生は昭和の初期、大阪の朝日新聞社で武田惣角先生や植芝盛平先生(合気道創設者、当時は武田惣角の弟子)から教えを受け、後年、郷土である徳島県の池田町に帰り、接骨業のかたわら大東流合気柔術の指導にあたりました。現在、私たちは中津先生の直弟子で、池田町浄光寺住職 千葉紹隆先生、穴吹町 大西正仁先生からの指導を受けています。